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礼拝説教

4月12日礼拝説教 「復活を信じる信仰」

はじめに

イエス・キリストが復活された日曜日の朝から、天に挙げられる(召天)までの40日間、イエス様は度々、弟子たちの前に姿を現されました。もはや時間や空間の制約から解放された「復活の体」へと甦られていたのです。それは、数々の奇跡を目の当たりにしてきた弟子たちの想像をも絶することでした。イエス様は以前、マグダラのマリアたちに「ガリラヤで再会しよう」と約束されましたが、いざその時を迎えても、復活を信じることは弟子たちにとってさえ容易なことではありませんでした。

復活を信じることの難しさ

28:11 女たちが行っている間に、番人のうちのある人々が都に帰って、いっさいの出来事を祭司長たちに話した。28:12 祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、28:13 「『弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている間に彼を盗んだ』と言え。28:14 万一このことが総督の耳にはいっても、われわれが総督に説いて、あなたがたに迷惑が掛からないようにしよう」。28:15 そこで、彼らは金を受け取って、教えられたとおりにした。そしてこの話は、今日に至るまでユダヤ人の間にひろまっている。

28:16 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行って、イエスが彼らに行くように命じられた山に登った。28:17 そして、イエスに会って拝した。しかし、疑う者もいた。

今回の箇所は、イエス・キリストが実際に復活したと信じることがいかに難しかったかを二つの角度から明らかにしています。一つは、祭司長や長老たちが見張りをしていた兵卒たちに賄賂を与えて復活の事実をゆがめたからです。当時の人々も現代人も、イエス様の復活を信じるよりもこの方が理に適っていると思うのではないでしょうか。当時の多くのユダヤ人がこのうわさを信じてイエス様の復活を信じなかったものと考えられます。

もう一つは、ガリラヤに行ってイエス様と再会した弟子たちも、イエス様の復活を疑う者がいたと記録を残しています。復活したイエス様と再会しても信じることができなかったとは、どういうことでしょうか。僅か42日前に彼らは凄惨な十字架刑の現場を目の当たりにしたばかりでした。それが脳裏に焼き付いていて、目の前のイエスとどうしても結び付けられなかったと言うことかもしれません。両手の釘後が残っていたとはいえ、疲労の極限状態で、しかも血だらけで磔にされたイエス様とはかなり姿が違っていたものと思われます。復活を信じることが当時の人々にとっても並大抵のことではなかったことがわかります。

神様は自然界を通して復活について教えて下さっています

神様は、私たちが復活を理解できるよう、自然界を通してヒントを与えてくださっています。例えば、植物を一度も見たことがない人に、一粒の「小さくて硬い、死んだような茶色の種」を見せて、「これを土に埋めれば、やがて巨大な木や美しい花になる」と言っても、すぐには信じられないでしょう。種は土の中で一度分解され、元の形を失うことで、全く異なる姿へと芽吹きます。私たちは日常的にこの「死からの再生」を目にしていますが、あまりに当たり前すぎて、それが奇跡であることに気づかないだけなのです。

また、毛虫にとってサナギになることは「世界の終わり」に見えるかもしれません。サナギの中で一度形を失うプロセスは、客観的には「死」そのものです。しかし、そこから全く異なる次元の能力――空を飛ぶ力――を持った蝶が現れます。復活とは単に元に戻ることではなく、**「栄光ある、より高い次元の命への変化」**なのです。

お腹の中の双子の会話も想像してみてください。「外の世界なんてあるわけないよ。ここが世界のすべてだ」と言い合う彼らにとって、誕生の瞬間は、今までの生活の「死」を意味するかもしれません。しかし、その先に待っていたのは光に満ちた広い世界でした。私たちが「死」と呼んでいる壁の向こう側には、実は「本当の命」が待っているのだと、自然界は教えてくれているのです。

十字架刑から50日後の弟子たちの変化

復活直後、弟子たちの中には疑う者が少なくありませんでした。十二弟子の一人トマス(ヨハネ20章26節~)、エマオの町に出かけたクレオパたち(ルカ24章)もそうでした。

二千年前の出来事は、現代の私たちには単なる伝説のように聞こえるかもしれません。 しかし、復活から50日後(ペンテコステ)からの弟子たちの劇的な変化こそが、復活が事実であった最大の証明です。あんなに臆病で、イエス様を否定して逃げ出した弟子たちが、なぜ、わずか数週間後には命をかけて「復活」を証言し、喜んで殉教していったのでしょうか? 人は「嘘」のために命を捧げることはありません。彼らが「復活したイエス」を実体験し、確信したからこそ、臆病者が勇者へと変えられたのです。ユダを除く弟子たちのほとんどが、後に殉教の死を遂げたという事実は、キリスト教が単なる物語ではなく、事実に基づいた信仰であることを物語っています。そして、彼らの信仰を、この二千年間数えきれないクリスチャンたちが受け継いで来たのです。

イエス様の口癖と遺言

イエス様は多くの病を癒された際、繰り返しこう言われました。

「あなたの信仰が、あなたを救った」

長年出血が止まらない女性(マタイ9:22)、盲人バルテマイ(マルコ10:52)、涙で足を拭いた女性(ルカ7:50)、重い皮膚病を患っていた人(同17:19)……。これらの奇跡の背後には、常に「信じる心」がありました。イエス様は、人間の信仰こそが神様の力を引き出す鍵であることを教えられたのです。

また、疑っていたトマスには温かくこう言われました。

「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」

信仰こそが、人生の荒波や不可能な壁を乗り越える力です。イエス様は一人一人の信仰の成長速度を大事にして下さいます。人と比較する必用はありません。「あなたの信仰があなたを救った」とイエス様は宣言して下さいます。

新年度の歩みがますます信仰に満たされ、強められていきますよう、心よりお祈りいたします。

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