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4月19日礼拝説教 「唯一の慰め~キリストのものであるということ~」今村まさゑ師(元早良キリスト教会協力牧師)

皆さま、本日は小さきものを講壇に立たせていただき感謝申し上げます。 父なる神さまと主なるキリストからの恵みと喜びが豊かにありますように祈ります。

さて、今朝の聖書箇所 エペソ1章をお開きください。 

原文では1節~14節までが1区切りとなっており、途中で区切るのは如何かと思いますが、余りの内容の豊かさに、3節~6節にさせていただきました。

さて、エペソの1節~2節は、手紙の冒頭の挨拶ですがそれに続く3節はいよいよ手紙の内容に入っていくわけです。3節『ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。』と、ここでパウロは先ず三位一体の神を讃えています。まず神を賛美することは、とても重要なことです。賛美とは、私たちの神がどのような方であるかを私たちが自分のことばで告白することです。神は私を造られた創造主で、栄光に満ち、力に満ち、あわれみ深く、恵みに満ちた方、しかも変わることのない真実な方であることを、宣言することです。神様を讃えるとき、私たちはそのことによって清められ強められるのです。 

続いて、『神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、』とあります。新共同訳では『天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。』と書かれています。 

想像してもおもい及ばないほどの祝福を注ぎ満たしてくださるというのです。「祝福とは=神様が人に与えられる恵みのこと」を指しています。神様が下さる恵みは、この世にあるようなものではく天にあるもの、また1つの恵みではなく「あらゆる=すべて」の恵み、目に見える物理的なものではく「霊的なもの=神からくる聖なる清い私たちの内なるものを満たすようなもの」です。 

4節、「みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、」・・・天地の造られる前から、選ばれていたなんて、何というお恵みでしょうか。あまりにも壮大な語計画過ぎて把握するのが困難ですが、この箇所から天地創造の前にキリストが存在しておられたことがわかります。そして、このキリストにあって私たちが選ばれたと聖書は語っています。ヨハネ15章16節の「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」というのは天地創造の前に完了していたのです。 

さらに、5節では、「わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。」 

神の子たる身分とは何でしょうか? 

「神の子どもとされる特権」の第一は、神を父として、親しく「アバ、父よ」「お父さん!」と呼ぶことができる。そうした近しいかかわりを持つことができるという特権です。 

特権の第二は、「御父の家に住む」ことができるということです。 

第三は、神の子どものために天に貯えられている財産を受ける特権です。 

映画などで貧しかった主人公が実は王の息子あるいは娘であったというような作品を見たことはありませんか?そのあり得ない話が皆さんお一人お一人の上に起きているのです。あまりにも壮絶な話過ぎて他人事のようですが、これは神の国の現実です。 

5節の半ばに「御旨のよしとするところに従い」とありますが、これは「神様の自由意志で」ということです。神様の自由意志で私たちを神の子にしようと計画されたというのです。神様のこの一方的な選びは、強制や支配や従属させるというようなものではありません。『愛のうちに』定められたのです。愛は押し付けません。それを受け入れるかどうかは私たちの意志に委ねられているのです。受胎告知されたマリアは『御心のままになりますように』と信仰告白しました。神様のご計画を知った私たちもマリアのように受け入れる宣言をするならばそのようになるのです。 

さて、今から約450年前(1563年に)、ドイツのハイデルベルグという所で、「ハイデルベルグ信仰問答」という書物が出版されました。16世紀の宗教改革の只中のことでした。教会ごとに教えがバラバラになりがちであったので、プロテスタントの代表的な信仰をまとめることを目的に作られたのです。現在でも世界中で大変広く用いられています。問答書は、129の問いと答えで構成されています。この問答書は、教理がまとめられていますが、その文章は固く近寄りがたいものではなく、むしろあたたかい文章で書かれています。知識というよりも慰め・希望に重点がおかれ日曜日ごとに学べるように52週分に分割されています。『信仰問答』と言われると敷居の高い書物のように聞こえますが、現代風に訳すならば『クリスチャン信仰Q and A』といったところでしょうか。 

さてその問1は「生きる時も、死ぬ時も、あなたの唯一つの慰めは何ですか。」というものです。 

皆さまは何と答えられますか。あなたの全生涯における、唯一の支え、助け、あるいは安心させてくれるものとは何でしょうか。 

問答書は次のように答えています。「それは、わたしが身も魂も、生きる時も死ぬときも、わたしのものではなく、わたしの真実の救い主、主イエス・キリストのものであるということです。・・・・・・」 

正確にはもっと続きますが、私はこの答えに大いに教えられ励まされているのです。 

罪深く汚れた乏しい者である私(また周りから受け入れられず価値なく、どこにも属さない孤独な者である私)を主イエス・キリストは、受け入れ、ご自身のものであると言ってくださるのです。主は私を価値あるものとしてくださるのです。これこそ大きな喜びであり、助けであり、慰めです。 

イザヤ43:1にもこうあります。 

「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。 わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。」

あなたはわたしのものだ。という言葉は、神様が一方的で支配的であるかのような印象を与えますが、そういう意味ではありません。また、私たちを所有物として扱っている訳でもありません。 

『あなたはわたしのものである。』という聖書が伝えているメッセージは深い真理を示しています。神様のものであるということは、私たちが神の家族の一員であることを意味するのです。私たちは神様に愛され、大切にされているのです。迷ったり不安を感じたりするとき、この聖句を思い出すことで、私たち自身の価値と神に在る平安を見いだすことができます。イザヤ書43章1節は、神様が私たち一人一人を受け入れ、周りから孤立し孤独を感じる状況においても私たちが神に属していることを私たちに伝えているのです。 

本日の宣教のタイトル『唯一つの慰め ―神のものであるということー』でお分かりになりますように、神様が備えて下さった唯一の慰めは、この世が与える価値観とはまったく次元が異なります。私たちが人生で慰めを得られるものは、財産や地位、知識や名声ではありません。私たちを唯一慰めてくれるもの、それはこの私が神に愛されている者であるという事、私が神のものであるという事実なのです。この確固たる真実に目を注いで歩んでいきましょう。 

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